基礎問題精講 テーマ38
第二次世界大戦後の中東・アフリカ
地図3枚と年表2本(中東・アフリカ)で、この章の設問はすべて解けます。年表はレベル1を骨格に、2と3を差し込んでいく順で覚えます。
全体像
中東は三幕
大戦中の矛盾した三つの約束が、パレスチナ問題の火種になった。
ナセルのエジプトを中心に、親英の王政が倒れ、イスラエルと4度戦った。
1979年を境に、中東はアメリカが抱える問題へ移った。
アフリカは三区分
リビア、スーダン、モロッコ、チュニジアが独立。アルジェリアだけが戦争で1962年。
ガーナが先駆け、1960年に17か国が一斉に独立。1963年にOAU。
ポルトガル領の独立、白人政権の打倒、アパルトヘイトの撤廃。
地図
地図1は現在の国境線で描いているため、委任統治期の境界とは細部が異なります。いま「パレスチナ」と呼ぶのは西岸とガザですが、1948年以前の「パレスチナ」はイギリス委任統治領全体(現在のイスラエル+西岸+ガザ)を指します。
中東の年表
- 1915フサイン・マクマホン協定イギリスがオスマン帝国と戦わせるため、メッカのフサインにアラブ人の独立を約束した。L2
- 1916サイクス・ピコ協定その裏でイギリスがフランス・ロシアとアラブ地域の分割を秘密に取り決めた。L2
- 1917バルフォア宣言ユダヤ人にパレスチナでの民族的郷土の建設を約束し、三つの約束が矛盾した。L1
- 1919アフガニスタン独立第3次アフガン戦争でイギリスの保護国の地位を脱した。L3
- 1947パレスチナ分割案イギリスが手放した問題を国連が引き取り、ユダヤ人国家とアラブ人国家への分割を決めた。L2
- 1948イスラエル建国・第1次中東戦争建国に反対するアラブ諸国が攻め込んで敗れ、大量のパレスチナ難民が生まれた。L1
- 1951モサデグの石油国有化イランの首相がイギリス系石油会社を接収したが、1953年のクーデタで失脚し挫折した。L3
- 1952エジプト革命(自由将校団)第1次中東戦争の敗戦に憤った若手将校団が王政を倒した。翌年共和国、初代大統領ナギブ。L2
- 1956スエズ運河国有化・第2次中東戦争ナセルの国有化に英仏イスラエルが出兵したが、米ソの反対で撤退。ナセルはアラブの英雄に。L1
- 1958イラク革命(カセム)ナセルに刺激された軍人カセムらが親英の王政を倒した。L2
- 1964PLO結成アラブ諸国の主導で、パレスチナ人の代表組織として作られた。1969年からアラファトが議長。L2
- 1967第3次中東戦争(6日戦争)イスラエルが先制攻撃で圧勝し、シナイ半島・ガザ・西岸・ゴラン高原を占領した。L1
- 1973第4次中東戦争・第1次石油危機エジプトとシリアが反撃。アラブ産油国の石油戦略で原油価格が約4倍に。L1
- 1978キャンプ=デーヴィッド合意カーター大統領の仲介で、エジプトのサダトとイスラエルのベギンが和平の枠組みに合意した。L2
- 1979イラン革命(ホメイニ)親米の国王パフレヴィー2世が倒れイラン=イスラーム共和国が成立。原油減産が第2次石油危機に。L1
- 1979エジプト=イスラエル平和条約前年の合意が条約に。シナイ半島の返還が決まった(1982年に完了)。L1
- 1979ソ連のアフガニスタン侵攻親ソ政権を支えるための侵攻。抵抗した義勇兵の中から後のアル=カーイダが育つ。L1
- 1987インティファーダ占領下のガザと西岸で、パレスチナ人の民衆が投石で蜂起した。L2
- 1990イラクのクウェート侵攻 → 1991 湾岸戦争フセインのイラクがクウェートを併合し、アメリカ中心の多国籍軍に撃退された。L2
- 1993パレスチナ暫定自治協定(オスロ合意)ノルウェーの仲介で、ラビン首相とアラファト議長が相互承認した。L2
- 2001アメリカのアフガニスタン攻撃同時多発テロの後、アル=カーイダをかくまうターリバーン政権を倒した。L2
- 2003イラク戦争大量破壊兵器の保有を理由に、国連決議なしでアメリカがフセイン政権を倒した。L2
アフリカの年表
- 1948南アでアパルトヘイト本格化白人の国民党が選挙に勝ち、住む場所から結婚まで人種で分ける法律を作った。L3
- 1951リビア独立旧イタリア領。イタリアの敗戦後、国連の決定で王国として独立した。L2
- 1954アルジェリア戦争(〜62)フランスが本国の一部として手放さず、民族解放戦線(FLN)と泥沼の戦争に。第四共和政も倒れ、ド=ゴールが独立を承認。L2
- 1955アジア=アフリカ会議インドネシアのバンドンにネルー、周恩来、ナセルらが集まり、反植民地主義を掲げた。L2
- 1956スーダン・モロッコ・チュニジア独立スーダンは英・エジプトの共同統治から、モロッコとチュニジアはフランスの保護国から。L1
- 1957ガーナ独立(エンクルマ)サハラ以南で最初。旧英領の黄金海岸。パン=アフリカ主義が後続の手本に。L1
- 1958ギニア独立(セク=トゥーレ)フランス共同体への残留を問う住民投票で、唯一「否」を選んで即時独立した。L2
- 1960アフリカの年(17か国独立)フランスが方針を転換し、サハラ以南の植民地の大半を一斉に独立させた。L1
- 1960コンゴ動乱(〜65)旧ベルギー領。準備なしの撤退でカタンガ分離や国連軍介入を招き、ルムンバ首相は暗殺された。L2
- 1963アフリカ統一機構(OAU)エチオピアのアディスアベバで結成。植民地時代の国境の尊重と植民地主義の一掃を原則にした。L1
- 1965ローデシア白人政権の独立宣言少数派の白人政権が、黒人の多数派支配を避けるためイギリスの承認なしに独立を宣言した。L3
- 1967ナイジェリア内戦(ビアフラ戦争、〜70)南東部のイボ族がビアフラ共和国として分離独立を宣言。封鎖と飢餓の末に敗れた。L3
- 1974エチオピア革命飢饉のさなか皇帝ハイレ=セラシエが廃され、軍事政権はソ連寄りの社会主義へ。L3
- 1975アンゴラ・モザンビーク独立1974年にポルトガル本国で独裁が倒れ(カーネーション革命)、植民地を手放した。L2
- 1980ジンバブエ独立ゲリラ戦の末に白人政権が交渉に応じ、選挙を経てムガベ政権のもとで独立。L2
- 1990ルワンダ内戦(〜94)フツ族とツチ族の対立。1994年には約100日で主にツチ族数十万人が殺される大虐殺が起きた。L3
- 1991アパルトヘイト撤廃国際的な制裁と冷戦終結を背景に、デクラーク政権が差別法を廃止した。L1
- 1994マンデラ大統領就任全人種参加の初の選挙でANC(アフリカ民族会議)が勝ち、南ア初の黒人大統領に。L2
- 2002OAUがアフリカ連合(AU)へEUを手本に改組。加盟国の紛争への介入も認めるようになった。L3
流れで読む中東
第一次世界大戦中、イギリスはオスマン帝国と戦うため、アラブ人には独立(フサイン・マクマホン協定)、フランス・ロシアとは分割(サイクス・ピコ協定)、ユダヤ人には民族的郷土(バルフォア宣言)と、互いに矛盾する約束を重ねた。戦後、アラブ地域は英仏の委任統治領になる。
第二次大戦後、イギリスはパレスチナを手放して国連に委ねた。1947年の分割案は、住民の約3分の1のユダヤ人に土地の半分強を割り当てた。1948年のイスラエル建国に反対するアラブ諸国が攻め込んで敗れ(第1次中東戦争)、70万人前後のパレスチナ人が難民になった。
この敗戦に憤ったエジプトの若手将校たちが自由将校団で、1952年に王政を倒した。ナセルは1956年にスエズ運河を国有化し、英仏イスラエルの出兵を米ソの反対で退けてアラブの英雄になる。その波で1958年にイラクの王政も倒れた。1964年にはアラブ諸国の主導でPLOが作られる。
1967年の第3次中東戦争でイスラエルは圧勝し、シナイ半島・ガザ・西岸・ゴラン高原を占領した。1973年の第4次中東戦争では、アラブ産油国の石油戦略が第1次石油危機を起こした。その後エジプトのサダトはアメリカ寄りに転じ、1978年のキャンプ=デーヴィッド合意、1979年の平和条約でシナイ半島を取り戻す。
1979年は、イラン革命、エジプト=イスラエル平和条約、ソ連のアフガニスタン侵攻が重なった年。ソ連と戦った義勇兵の中からアル=カーイダが育ち、1991年の湾岸戦争で米軍がサウジアラビアに駐留したことで、その敵はアメリカに向かった。これが2001年の同時多発テロとアフガニスタン攻撃につながる。湾岸戦争で残ったフセイン政権は、2003年のイラク戦争で倒された。
押さえどころ
- 1979年は3点セットイラン革命(ホメイニ/第2次石油危機)、エジプト=イスラエル平和条約(サダト・カーター)、ソ連のアフガニスタン侵攻。アメリカのアフガニスタン攻撃は2001年。
- エジプト革命の人物を分ける革命の主体は組織名の自由将校団、初代大統領はナギブ、スエズ運河国有化はナセル。
- 1960年の17か国に入らない国ガーナ(1957年)とリビア(1951年)。ギニアも1958年で入らない。
- 宗主国は原則フランス例外はイギリス(ガーナ、ナイジェリア、スーダン、ジンバブエ、南ア)、ベルギー(コンゴ、ルワンダ)、ポルトガル(アンゴラ、モザンビーク)、イタリア(リビア、ソマリア)。エチオピアはアドワの戦い(1896)でイタリアを破り独立を維持。
- OAUとAU1963年にエンクルマの主導で結成されたのがOAU(アフリカ統一機構)。2002年にAU(アフリカ連合)へ改組。
- 湾岸戦争は「中東戦争」に数えない中東戦争はアラブ諸国とイスラエルの戦争。湾岸戦争はイラクと多国籍軍の戦争。
