社会主義側親米・王政側フランス・外国勢力
ベトナム 3つの敵に勝つ
フランスインドシナ戦争 1946〜54→アメリカベトナム戦争 1965〜73→統一1976→中国中越戦争 1979
前史阮朝とフランス領インドシナ
1802 阮福暎がフランスの援助で阮朝(国号 越南)→ 1887 フランス領インドシナ(ベトナム+カンボジア、1899 ラオス編入)
1945ベトナム民主共和国(北・ハノイ)
日本降伏の空白に、ホー=チ=ミンのベトミン(ベトナム独立同盟会)が全土で蜂起(八月革命)→ ハノイで独立宣言、ホー=チ=ミンが初代大統領
1946インドシナ戦争
戻ったフランスが独立を認めず開戦/1949 フランスがバオダイ(阮朝最後の王)を担いでベトナム国/同年 中華人民共和国がベトミンを支援、米はフランスを支援
1954ジュネーヴ休戦協定
ディエンビエンフーで仏大敗 → フランス撤退の後始末/決めたのは3つ:北緯17度線で一時的に分ける(国境ではなく仮の線)、1956年に南北統一選挙、ラオス・カンボジアの完全独立/米と南側は加わらず → SEATO
1955ベトナム共和国(南・サイゴン)
ゴ=ディン=ジエムがバオダイを追放、米が支援/共産側が勝つのを恐れ、1956年の統一選挙を行わず → 仮の線が分断線になる
1960南ベトナム解放民族戦線
反ジエム・反米、北が支援(ホー=チ=ミン=ルートで物資)/1963 ジエム暗殺
1964トンキン湾事件 → 1965 北爆
米駆逐艦が攻撃されたとされる事件を口実に、ジョンソンが北爆と地上軍投入=米が当事者になる/1968 テト攻勢で米が勝ち目なしと悟る
1973パリ和平協定
ニクソン、米軍撤退/前段に1971 ドル・金交換停止、1972 ニクソン訪中
1975サイゴン陥落
支えを失った南が降伏/サイゴンはのちホーチミン市
1976ベトナム社会主義共和国
南北統一選挙、首都ハノイ/1954年に約束された選挙が22年遅れで実現
1979カンボジア侵攻 → 中越戦争
親ソのベトナムが親中のポル=ポトを倒す → 怒った中国が侵攻、ベトナムが撃退
1986ドイモイ
ペレストロイカを参考に市場経済導入/1995 ASEAN加盟
カンボジア 国名が5回変わる
王国シハヌーク→共和国ロン=ノル→民主カンプチアポル=ポト→人民共和国ヘン=サムリン→王国シハヌーク
1953カンボジア王国
シハヌーク国王(1949 フランス連合内で独立)/1954 ジュネーヴで完全独立/中立外交、1955 アジア=アフリカ会議に参加
1960年代シハヌークが左に傾く
米と距離を置き、南ベトナム解放民族戦線を支援、北からの補給路が国内を通るのを黙認
1970クメール共和国(カンボジア共和国)
米の支援で親米ロン=ノル将軍がクーデタ/ホー=チ=ミン=ルート遮断の狙い → 内戦激化 ×1974
1976民主カンプチア
親中国ポル=ポト(クメール=ルージュ)/原始共産制をめざし、知識人・技術者を大量虐殺、強制移住
1979カンボジア人民共和国
ベトナム軍が侵攻しポル=ポトを倒す → ヘン=サムリン(ポル=ポトの元仲間でベトナムへ逃れていた)を立てる、背後にソ連 → 中越戦争へ
1982民主カンボジア連合政府
シハヌーク派・ソン=サン派・ポル=ポト派の三派が連合し、ヘン=サムリン政権に対抗
1991パリ国際会議(和平協定)
争っていた4派と、日本を含む18カ国が調印(カンボジア和平協定)→ 国連に預けて内戦終結/1992 UNTAC(日本が初参加したPKO)
1993カンボジア王国
国連のもとで選挙 → シハヌークが王位に復活/1998 ポル=ポト死去、1999 ASEAN加盟、2004 シハモニ国王
ラオス 王国から社会主義へ
ラオス王国1953→ラオス人民民主共和国1975〜現在
1893フランス保護領
フランスがシャム(タイ)からメコン川以東を獲得 → のち仏領インドシナに編入
1953ラオス王国
1949 フランス連合内で独立 → 1953 独立/1954 ジュネーヴで完全独立
1960年代内戦とアメリカの介入
ホー=チ=ミン=ルートが通り、ベトナム戦争に巻き込まれる/王国政府(右派)とパテト=ラオ(左派)の内戦
1975ラオス人民民主共和国
サイゴン陥落と同じ年、ラオス人民革命党(社会主義)が勝利 → 現在も社会主義
1997ASEAN加盟
ミャンマーと同じ年 ×1995(ベトナムと混同しない)
インドネシア スカルノからスハルトへ
オランダ独立戦争 1945〜49→スカルノ非同盟・容共→スハルト親米の開発独裁 1968〜98
1945独立宣言
8月、インドネシア国民党のスカルノが宣言 → 元の宗主国オランダが認めず独立戦争 ×1948
1949ハーグ協定
国連が仲介し、米もオランダに圧力 → オランダが独立を認める
1955アジア=アフリカ会議
スカルノがバンドンで主催、29カ国、平和十原則(1954 ネルー・周恩来の平和五原則を発展)/米ソどちらにもつかない非同盟の旗手 ×スハルトが主催
1965国連脱退 → 九・三〇事件
1月、マレーシア連邦に反発し、その安保理入りに抗議して国連脱退/9月、左派軍人のクーデタをスハルトが鎮圧 → 共産党を犯人として壊滅、大量殺害 → 陸軍と共産党の間に立っていたスカルノが失脚
1966国連復帰
脱退は1年半あまり(国連は正式脱退扱いにせず)/マレーシアと和解 → 1967 ASEAN結成へ ×1970年代
1968スハルト大統領(〜98)
親米の開発独裁/成果:国際社会への復帰と経済成長/負の面:虐殺、東ティモール併合、一族の汚職 → 1997 アジア通貨危機で経済が崩れ1998退陣
東ティモール ポルトガル → インドネシア → 独立
ポルトガル領→インドネシアが併合1976→独立2002
1974ポルトガル本国の独裁が倒れる
ティモール島の東半分だけがポルトガル領で残っていた(西半分は旧オランダ領 → インドネシア)→ 植民地を手放す方針に
1976インドネシアが併合
1975 左派政党が独立宣言 → 共産化を警戒したスハルトが軍を送る/国連は認めず、冷戦下で米は黙認/占領下で多くの住民が死亡
2002分離・独立
1998 スハルト退陣 → 1999 住民投票で独立派が大勝 → 国連の暫定統治 → 21世紀最初の独立国
マレーシア・シンガポール 連邦を作り、シンガポールが抜ける
英領海峡植民地→マラヤ連邦1957→マレーシア連邦1963→シンガポール分離1965
前史マラッカと海峡植民地
14世紀末 イスラーム国家のマラッカ王国 → 1511 ポルトガルが占領/19世紀初め ラッフルズ(イギリス人)がシンガポールを獲得 → 1826 ペナン・マラッカ・シンガポールで海峡植民地 ×オランダ ×マレー連合州
1942日本軍がシンガポールを占領
太平洋戦争でマレー半島とシンガポールを占領 ×占領しなかった
1963マレーシア連邦
マラヤ連邦+シンガポール+北ボルネオのサバ・サラワク(ブルネイは不参加)/インドネシアのスカルノが反発
1965シンガポール分離・独立
華僑が7割、マレー人優遇策に反発してマレーシアから分離 → リー=クアンユー首相の開発独裁で急速な工業化 ×イギリスから独立
1980年代マハティール首相
マレーシア。日本や韓国に学ぶルック=イースト政策
ビルマ・フィリピン 独裁と民主化
ビルマ独立1948→軍部1988→民主化運動スー=チー
1948ビルマ独立
イギリスから独立し、イギリス連邦からも離脱
1988軍部クーデタ → 1989 ミャンマー
国名をミャンマーに改称/アウン=サン(独立の父)の娘スー=チーの民主化運動
1965マルコス(フィリピン)
任1965〜86、開発独裁 → 腐敗が進み1986の革命で失脚 → コラソン=アキノ大統領
ASEAN 反共の5カ国から地域全体へ
5カ国1967→中立化1971→旧敵も加盟1995〜99→11カ国2025
1967結成
インドネシア・マレーシア・フィリピン・タイ・シンガポールの5カ国/ベトナム戦争下で反共色が強い(軍事同盟ではないが「反共軍事同盟の色彩」と書かれる) ×4カ国
1971中立地帯宣言
反共の集まりから、中立的な地域協力へ
1984〜99加盟の拡大
1984 ブルネイ → 1995 ベトナム → 1997 ミャンマー・ラオス → 1999 カンボジア=10カ国(本書の記述) ×カンボジア1997 ×13カ国 タイは原加盟国
1997アジア通貨危機
タイの通貨バーツの暴落から始まり、インドネシア・韓国などへ波及 → IMFが緊急融資
2025東ティモール加盟
11カ国に(本書は加盟前の版なので10カ国)
「民主」が付く国名は社会主義:ベトナム民主共和国/民主カンプチア/ラオス人民民主共和国(ただし民主カンボジア連合政府は、反ベトナム三派の連合)
全体 ベトナム戦争を中心に、各国が動く
1945〜54 独立の時代。日本の敗戦で、各地が宗主国から独立する。ベトナムだけはフランスと戦争になり、1954年のジュネーヴ休戦協定で南北に分かれる。
1955 どちらにもつかない道。スカルノがバンドンでアジア=アフリカ会議を開き、非同盟を掲げる。
1964〜65 周りの国が一斉に反共へ。トンキン湾事件で米がベトナム戦争に本格参戦した同じ時期に、インドネシアで九・三〇事件(容共のスカルノ失脚)、シンガポールの分離、フィリピンでマルコス就任が重なる。
1967 反共の国がまとまる。米側についた5カ国がASEANを結成。
1975〜79 共産側が勝ち、共産側同士が割れる。サイゴン陥落でベトナム統一。親中国のポル=ポトを、親ソ連のベトナムが倒す。
1986〜99 冷戦が終わる。ベトナムはドイモイへ、マルコスは失脚、かつての敵だったベトナム・カンボジアもASEANへ。
ベトナム 約束された選挙が22年遅れた国
ジュネーヴ休戦協定(1954)は、フランスがインドシナから出ていくための後始末の約束。北緯17度線でいったん分け、1956年に統一選挙をすると決めた。17度線は国境ではなく、選挙までの仮の線だった。
選挙をすれば人気のあるホー=チ=ミンが勝つ。そう見たアメリカと南側は協定に加わらず、1955年に南にゴ=ディン=ジエムのベトナム共和国を建て、選挙を行わなかった。仮の線が分断線になる。
南では1960年に解放民族戦線が生まれ、北が支援する。1964年のトンキン湾事件(北ベトナム軍が米駆逐艦を攻撃したとされる事件。2回目の攻撃は実際にはなかった可能性が高い)を口実に、米は1965年から北爆と地上軍投入に踏み切り、自ら戦争の当事者になる。
反戦運動と財政難で米は1973年のパリ和平協定で撤退し、支えを失った南は1975年にサイゴン陥落。1976年の統一選挙で、約束が22年遅れで果たされた。
カンボジア 中立の王国が壊れ、元に戻るまで
起:中立の王国。1954年、ジュネーヴ休戦協定で完全に独立。国王シハヌークは東西どちらにもつかない中立とバランス外交をとる。
承:左へ傾く。1960年代、ベトナム戦争が激しくなると、シハヌークは米と距離を置き、南ベトナム解放民族戦線を支援。北からの補給路が国内を通るのも黙認した。
転:クーデタと虐殺。補給路を断ちたい米の支援で、1970年にロン=ノルがクーデタを起こし、カンボジア共和国に。米がベトナムから手を引くとロン=ノル政権は崩れ、中国に支えられたポル=ポトが1976年に民主カンプチアを建て、強制移住と大量虐殺を行う。
結:国際社会の手で和平へ。1979年、ベトナムが侵攻してポル=ポトを倒し、ポル=ポトの元仲間でベトナムへ逃れていたヘン=サムリンを立てる。反ベトナム派との内戦が続いたが、冷戦後の1991年、4派と日本を含む18カ国がカンボジア和平協定に調印。国連(UNTAC)の見守りで選挙を行い、1993年にシハヌークが王位に戻った。
インドネシア 外から見た4つの場面
オランダと戦う(1945〜49)。スカルノの独立宣言をオランダは認めず、軍を送る。国連が割って入り、米もオランダに圧力をかけ、1949年のハーグ協定でオランダが独立を認めた。
世界の中で(1955)。米ソどちらにもつかない非同盟の旗手として、スカルノがバンドンでアジア=アフリカ会議を開く。
マレーシアとけんか(1963〜65)。隣のマレーシア連邦を「イギリスの手先」と反発。そのマレーシアが安保理入りすると、1965年1月に国連を脱退。
九・三〇事件と仲直り(1965〜67)。9月、左派軍人が陸軍の将軍を殺害。スハルトが鎮圧し、共産党を犯人として壊滅させた。陸軍と共産党の間で釣り合いを取っていたスカルノは立つ場所を失い、スハルトに実権が移る。1966年に国連へ復帰、マレーシアと和解し、1967年にASEANを共に結成した。
スハルトの評価。国際社会への復帰と経済成長の成果がある一方、共産党員とされた人々の大量殺害、東ティモールの武力併合、一族の汚職という負の面を持つ。開発独裁の「開発」と「独裁」の両面を持つ典型。
東ティモール スハルトの時代にすっぽり収まる
ティモール島の東半分はポルトガル領として残っていた。1974年にポルトガルが植民地を手放す方針になり、1975年に左派政党が独立を宣言すると、共産化を警戒したスハルトが軍を送り、1976年に併合した。スハルトが1998年に退陣すると住民投票が認められ、1999年に独立派が大勝。国連の暫定統治を経て2002年に独立し、2025年にASEANの11番目の加盟国になった。