ベトナム史

ベトナム史

ベトナム史は「陸と海のあいだで生き残る話」だ

1|ベトナムは、最初から「境界」にあった国

まず大前提。
ベトナムという土地は、最初から「ど真ん中の文明圏」じゃない。

  • 北を見れば 中国
  • 南と西を見れば インドの世界
  • 海に出れば インド洋交易

つまりベトナムは、
中国文明とインド文明の“境界線”にずっと立たされてきた。

この立地が、

  • しぶとさ
  • 吸収力
  • 反抗心

をすべて生んだ。


2|最初の主役は「北」ではなく「海」だった

教科書だと見落とされがちだけど、
初期のベトナム史で重要なのは「海」。

中部沿岸には サーフィン文化
南部にはメコン川流域を基盤にした海上ネットワークがあった。

つまりベトナムは最初から、
海と交易に慣れた地域だった。

ここで出てくるのが チャンパー

  • インド文化
  • ヒンドゥー教
  • 海上交易

を武器にした港市国家だ。

この時点では、
「ベトナム=陸の国」ではない。
むしろ海を使う国だった。


3|中国支配1000年は「失敗」じゃない

前111年、
ベトナム北部は 前漢 によって支配される。

ここから約1000年。
「支配されてかわいそう」で終わらないのが、この時代だ。

中国支配の中で、ベトナムは次を獲得した。

  • 漢字
  • 官僚制
  • 儒教的統治技術

同時に、
「自分たちは中国とは違う」という意識も育った。

徴姉妹(チュン姉妹)の反乱が象徴的だが、
大事なのは勝敗ではない。

「反抗した記憶」が残ったことだ。


4|独立後、ベトナムは“南に食い込む”

10世紀、ついに中国から独立。

ここからベトナムは、
南へ、南へと伸びていく。

これを南進(ナムティエン)と呼ぶ。

理由は単純だ。

  • 北は中国
  • 西は山地
  • 南と海しか伸びる余地がなかった

この過程で、

  • チャンパーを圧迫
  • メコン川流域に進出
  • カンボジア勢力と衝突

つまりベトナムは、
「被支配の歴史」と「拡張の歴史」を同時にもつ国だ。


5|内乱だらけでも「中国化」はしなかった

独立後のベトナムは内乱続きだった。

  • 王朝は頻繁に交代
  • 北と南で分裂
  • 実権者が別に存在

それでも、
中国に戻ろうとはしなかった

儒教は使う。
官僚制も使う。
でも「中国の一部」にはならない

この姿勢を体現したのが 黎朝(レ朝) だ。


6|阮朝は「妥協の王朝」だった

18世紀後半、
内乱をまとめたのが 阮福映

1802年、阮朝を開く。

久々の安定。
しかしそれは、きわめて危うい均衡だった。

  • 西洋列強の接近
  • 軍事技術の遅れ
  • 対応の後手

結果、フランスに付け込まれる。


7|「フランスと戦う」ではなく「国を名指しする」段階へ

植民地支配が続く中で、
ベトナム人の意識が変わる。

「フランスが悪い」だけでは足りない。
「ベトナムとは何か」を言葉にする必要があった。

ここで重要なのが ファン=ボイ=チャウ

彼は ドンズー(東遊)運動 に賭けたが失敗する。

  • 日本は助けなかった
  • フランスと手を組んだ瞬間、切られた

ここで知識人たちは悟る。

「他国モデルの輸入では独立できない」


8|ホー=チ=ミンが「世界」を見た理由

彼は最初から共産主義者ではなかった。

世界を歩き、
どこにもベトナムの席がないことを確認した。

そして1930年、
インドシナ共産党を結成。

ここで初めて、
独立は思想・組織・武装を伴う運動になる。


9|日本が来て、歴史が一気に動く

第二次世界大戦。

  • フランスの威信は崩壊
  • 日本も解放者ではなかった

支配の正当性が両方とも崩れた。

この隙を突いて結成されたのが
ベトナム独立同盟会(ベトミン)

1945年、日本敗戦。
ベトナム民主共和国 独立宣言。


10|ディエンビエンフーは奇跡じゃない

第一次インドシナ戦争。

  • 山を切り開き
  • 砲を人力で運び
  • 補給線を断つ

「国を守る側の戦争」だった。

ジュネーヴ休戦協定により南北分断。


11|ベトナム戦争は「内戦」から始まった

最初は南北ベトナムの内戦だった。

ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)が動く。

アメリカは途中から介入する。


12|アメリカが勝てなかった理由

  • ベトナム側は「国そのもの」が戦場
  • アメリカ側は「遠征軍」

1973年、パリ和平協定
アメリカ撤退。


13|1975年、「やっと終わる」

サイゴン陥落

ベトナム社会主義共和国成立。


14|ドイモイ(刷新)は「昔からのやり方」

1986年、ドイモイ(刷新)を決断。

強いものの仕組みは使う。
でも、国そのものは手放さない。


ここがベトナム史の核心

  • ファン=ボイ=チャウの失敗
  • ホー=チ=ミンの選択
  • ベトミンの武装
  • ディエンビエンフーの勝利
  • ベトナム戦争の粘り
  • ドイモイ(刷新)の転換

「外に決めさせない」
この一点で、すべてがつながっている。

まんこ
用語 年号 タグ 偏差値 トリガーワード 詳細
ドンソン文化 前4世紀ごろ ベトナム史 ベトナム 標準 青銅器文化
サーフィン文化(サフイン文化) 同時期 ベトナム史 ベトナム マニア 漁労民の青銅器文化
チャンパー 2世紀 ベトナム史 ベトナム 標準 港市国家
第1次仏越戦争 1858 ベトナム史 フランス 標準 仏軍出兵
サイゴン条約 1862 ベトナム史 フランス 標準 コーチシナ割譲
ドンズー(東遊)運動 1905 ベトナム史 ベトナム マニア 日本留学
インドシナ共産党 1930 ベトナム史 ベトナム 標準 ホー=チ=ミン
ベトナム独立同盟会(ベトミン) 1941 ベトナム史 ベトナム 標準 抗日・独立
ベトナム民主共和国 1945 ベトナム史 ベトナム 標準 独立宣言
ジュネーヴ休戦協定 1954 ベトナム史 ベトナム 標準 北緯17度線
ベトナム戦争(米軍本格介入) 1965 ベトナム史 ベトナム 標準 米軍介入
パリ和平協定 1973 ベトナム史 ベトナム 標準 米軍撤退
ベトナム社会主義共和国 1976 ベトナム史 ベトナム 標準 南北統一
ドイモイ(刷新) 1986 ベトナム史 ベトナム 標準 市場開放
ASEAN加盟(越・ラ・カ) 1995/1997/1999 インドシナ史 東南アジア マニア インドシナ3国